2024年8月 武士が学んだ馬術その4

 

前回は明治時代以降、西洋よりサラブレッドやアラブ等の近代軽種馬が導入されたため、数は減少したものの現代にも残っている。日本在来馬の8種のうち

北海道和種、木曽馬、御崎馬、対馬馬の4種について記した。今回の残りの4種の日本在来馬について記してみたい。

 

1.野間馬

体高4尺(約121センチメートル)を定尺とし、この定尺より大きい馬は藩公から飼育費のほかに報奨金が与えられて増産を進められた。一方、定尺より小さい馬は飼育費を払わない代わりに農家に無償で払い下げられた。以降農家ではこの定尺以下同士の交配が行われ、日本最小の在来馬「野間馬」が誕生した。この小型馬は「ノマゴマ」「ノマゴ」などと呼ばれ、珍重された。農家ではこの小さな野間馬が頑健で粗食に耐え、蹄鉄がなくとも70キログラム程度の重い荷物を乗せることができることから、農耕や荷物の運搬に用いられた。

2.トカラ馬

トカラ馬はトカラ列島(鹿児島県鹿児島郡十島村)の宝島および奄美諸島の喜界島で飼育された。宝島へは明治30年ごろに喜界島から農業用として移入された。体高はおよそ100120cmと小柄で在来馬の中でも最小クラス。ポニーに分類される。暑さに強く、農耕や運搬、サトウキビ絞り等に利用されてきた

3.宮古馬

宮古馬は宮古列島の宮古島で飼育されてきた。体高は120cmと小型でポニーに分類される。離島で他品種と交配されることがなかったため、現代まで系統よく保たれてきた。性質が温順で飼い主によくなつき、粗食や重労働に耐えることから農耕用や駄載用として利用されてきた。また、蹄が大きく堅いため、サンゴ石の道路や表土の薄いサトウキビ畑での農耕に適していた。

4.与那国馬

与那国馬は八重山列島の与那国島で飼育されてきた。体高はおよそ100120cmと小柄でポニーに分類される。与那国島では古くから農耕、農作物や薪の運搬乗用などに活躍してきた。飼い主は「ウブガイ」と呼ばれる木製の頭絡を自作、馬の耳に「耳印」と呼ばれる切込みを入れて自分の馬を区別した。また、琉球王国の時代から太平洋戦争中まで沖縄の伝統の馬乗り競技である琉球競馬に用いられていた。

参考文献

 

 日本馬事協会ホームページ