2023年2月 武士が学んだ馬術 その1

 

 森本先生も「道標」にて何度か記されているとおり、江戸時代の武士は一芸専修ではなかった。現代人は居合なら居合のみ、剣術なら剣術のみ、柔術なら柔術のみを稽古することが多いが、江戸時代の武士には居合、剣術、柔術、弓術、馬術等複数の武術を学んでいる者も多かった。

 森本先生の研究によると土佐藩の片岡健吉の稽古記録には一日の内に馬術、剣術、居合、柔術を稽古している様子が記されている。また、長州藩の来嶋又兵衛は柳川藩では大石神影流を創始した大石進のもとで馬術を稽古したとされている。大石家には馬場があり、門人への指導記録は残っていないが大石家は個人的に馬術の稽古をしていたと考えられる。

 これら江戸時代の武士が学んだ馬術とはどのようなものであったのだろうか?現在、オリンピック等で見られる馬術、競走馬によって行われる競馬等があるが何れも明治以降に導入された西洋式の馬術である。それら西洋式の馬術は西洋産の馬を御することを前提として組み立てられたものであり、江戸時代には西洋産の馬は日本には存在していなかった。当時の日本には同じ馬とはいえ西洋産の馬とは大きく異なる馬が存在していた。そのため、西洋式とは異なる体系を持つ馬術が存在したと考えられる。所謂、日本在来馬である。

 次回は日本在来馬の特徴について記してみたい。

 

参考文献

 貫汪館 「道標」

    日本馬事協会ホームページ

  写真は和式馬術の鐙