「大石神影流剣術」は大石進種次により創始された流派である。大石進種次は寛政9年(1797年)三池郡宮部村に生まれ、幼少より祖父の大石種芳から「愛洲陰流剣術」と「大嶋流槍術」の指導を受けた。文化10年(1813年)頃から、これまでの「愛洲陰流剣術」の袋撓と防具の改良を開始、独自の突技と胴切の技を始めたと言われる。文政3年(1820年)に祖父大石種芳より大嶋流槍術の皆伝を受け、続いて文政5年(1822年)に愛洲陰流剣術の皆伝を受けた。文政8年(1825年)には父の後を受けて柳河藩剣槍術師範となり、天保3年(1832年)暮れには聞次役として江戸へ。その翌年にかけて江戸で試合を行っている。このときに試合をした相手は定かではないが

 

男谷精一郎との試合は有名である。天保10年(1839年)には再び江戸に出て試合を行っているが、この時、水野忠邦の前で試合を行い忠邦から褒美の品を与えられている。

 

大石進種次以降の伝系は以下のとおりである。

 

大石七太夫藤原種次(初代) 大石進種昌(二代) 大石雪江(三代)

 

坂井真澄(四代) 大石一(五代) 大石英一(六代) 森本邦生(七代)