2024年1月 武道史の研究

※このレポートは2022年6月に掲載されたものの再録です

その3 井伊直弼は居合の名手?!

井伊直弼は近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務めた。

幕末期を舞台とした大河ドラマ等では明治維新を成し遂げた側が主役(西郷隆盛、坂本竜馬等)とする設定が多い。そのため安政の大獄という粛清を行った張本人ということで敵役として描かれることが大半である。昨年、NHKで放送

された「渋沢栄一」にも登場したが栄一が一橋慶喜仕えていたため、やはり敵役として描かれていた。歴史は往々にして勝者の側から描かれるため真実は伝わり難く、小説やドラマ等のフィクションではおもしろおかしく描かれるため誤ったイメージが作られ易い。

 井伊直弼の地元である滋賀県彦根市では一般的な悪人イメージとは異なり、鎖国していた日本を開国に導いた偉人として評価されている。

 井伊直弼は文化12年(1815年)10月29日に生まれ32歳まで彦根で

過ごした。彦根時代の直弼は井伊家を継ぐ見込みもなく、また他大名への養子縁組みも成立しなかったため、将来に希望を見いだせない状況であった。自らを「埋もれ木」(長期間地中に埋もれて変質した木)に例えるような状況において

も文芸諸芸の精を出し、禅、茶道、和歌、国学、そして居合を学んでいた。

この時、直弼が学んだのが「新心流」(江戸時代初期に活躍した関口氏成を祖とする)の居合であった。直弼は彦根藩の居合師範である河西精八郎の元で17歳から修行を始め、免許皆伝に達した。31歳の時に居合の新流派「神心流」を立ち上げた。直弼が居合の研究の末まとめた「神心流居合表之巻」には「神心流」の3つの心構え「破剣」「神剣」「保剣」の記述がある。その意味であるが「破剣」は「刀を抜くとき、相手は非道な人間であること」。「神剣」は「実を避けて虚を打つこと」。「保剣」は「刀を抜かずに勝ちを保つこと」と説かれている。

 次回は世田谷にある井伊家の菩提寺である「豪徳寺」を訪ねてみたい。

 

参考文献

  彦根城博物館HP