2024年4月 武士が学んだ馬術その2

 

 前回は江戸時代の武士が学んだ馬術は現在我々が目にしている、オリンピック等で見られる馬術競技や競馬とは異なるということについて記した。それらの馬術は明治維新以降に導入された西洋式の馬術であり、西洋産の馬を基に作られたものである。当時の日本には西洋産の馬とは大きく異なる馬が存在していた。今回はそれら日本在来馬について記してみたい。

 日本在来馬は競馬等で親しまれているサラブレッドなどの近代軽種馬と比べた場合の特徴として、全体としてずんぐりした体形、具体的には、やや大きめの頭部、太短くて扇形の首つき、丸々とした胴まわり、体格のわりに長めの背、太くて短めの肢、豊かなたてがみや尾毛、などが挙げられる。ただし、馬種ごとにも体形には違いが見られる。

日本在来馬は体質強健で、よく粗飼に耐える。消化器官が発達しており、そのため、野草のみでも育成できると言われる。体は丈夫で、寒冷地でも年間放牧が可能であるとされる。平均的に骨や蹄が堅く、骨折などの事故はあまり起きない。この「蹄が堅い」という在来馬の特長から、日本では雪国で馬にはかせる藁沓(わらぐつ)を除いて、蹄鉄が発達しなかった。

さらに、特徴的な歩様(歩き方)として、日本在来馬は「側体歩」、すなわち、前後の肢を片側ずつ左右交互に動かす変則速歩で歩く。この歩様は上下動が少ないため駄載に適し、特に険しい山道での運搬には向いている。体格のわりに力強く、特に後ろ脚が発達していることもあり、日本在来馬は傾斜地の歩行をあまり苦としない。また、比較的温和な性格のため、ハミをかませる必要もなく、容易に扱うことができたとされる。このことが原因の1つとなって、日本では明治に至るまで、去勢術が定着しなかった。

 上に記載があるとおり、日本在来馬はサラブレッドと比較して小柄であるため、スピードには劣るものの、歩様(歩き方)が「側対歩」であるため、上下動が少なく、傾斜地を苦手としないという特徴がある。これは山岳地が多い日本の風土に適しており、上下動が少ないため、騎射をするにも適していたと思われる。

 次回は現在に残る日本在来馬について記してみたい。

 

参考文献

 貫汪館「道標」

 

 日本馬事協会ホームページ