2023年11月 武道史の研究

※このレポートは2022年5月に掲載されたものの再録です。

 

その2 彦根藩の武術

 徳川家康が江戸幕府を開いた際に井伊家(彦根藩)に世田谷の地の半分を与え

た。当時の地図を見ると私が住む「弦巻」「用賀」のあたりが彦根藩世田谷領だったことがわかる。今回は井伊家・彦根藩の武術について記してみたい。

 井伊家は徳川四天王の一人と数えられた井伊直政が藩祖である。井伊家については2017年にNHKで放送された大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも取り上げられたため、ご存じの方も多いのではないかと思う。直政は小柄なからだつきながら朱色の軍装を纏って兜には鬼の角のような立物をあしらい、長槍で敵を蹴散らしていく勇猛果敢な姿から「井伊の赤鬼」と称され諸大名から恐れられたと言われる。そのような武名でなった藩祖を持つ彦根藩ではどのような武術が行われてきたのか。

 江戸時代後期、彦根藩士が武芸を学ぶ施設として存在したのが藩校の稽古堂(後に弘道館、文武館と改名)であった。稽古堂は寛政11年(1799年)、第11代藩主井伊直中によって彦根城の内曲輪(内掘と中堀の間)西部、現在の彦根市立西中学校付近に設立された。稽古堂には、藩の知行取藩士およびその子弟で、15歳から30歳までの者は必ず出席することが義務付けられていた。加えて、扶持米取藩士、15歳未満または30歳以上の知行取藩士の出席も可能であった。

 藩校では、学問として兵学・天文学・算学などが教授され、武芸は槍術・居合・剣術・柔術・砲術などが教授されていた。

 彦根藩ではそれぞれの武芸には複数の流派が存在していたが、具体的に藩士達はどのような流派を学んでいたのだろうか?

「天明元年御代見出前書写」(彦根藩井伊家文書 彦根城博物館所蔵)という史料には、藩校創設以前の状況であるが、彦根藩士達の武芸稽古の具体像が記されている。この史料によると彦根藩には弓術は4流派(日置流・武田流・片岡流・吉田流)、槍術は4流派(風伝流・心鏡流・宝蔵院流・天流)、剣術は6流派(念流兵法未来記・念流兵法・新念流兵法・正法念流未来記兵法・知明流兵法・鉄石固メ一流兵法)、居合は2流派(新心流・片山伯耆流)があったことがわかる。流派ごとの参加人数を計算すると、この当時、弓術は日置流、槍術は風伝流、剣術は念流兵法未来記、居合は新心流の稽古者が多かったことがわかる。また、1人の藩士が弓・槍・剣など複数の武芸を学んでいたことも判明している。

 余談であるが「念流兵法未来記」という一見変わった流派名の由来は、念流第3代小笠原甲明が記したとされる「念流正法未来記」という巻物の名そのものを流派名にしたものである。

 次回は彦根藩で居合を学んでいた歴史上有名なある人物について記してみたい。

 

 参考文献

  武道学研究 幕末期における近江諸藩の剣術について 1987年 村山勤治

  彦根城博物館だより 115号 2016年 彦根城博物館