2023年 6月 幕府講武所について

 

 今回は幕末に設置された幕府講武所について記してみたい。

幕府講武所は幕末に江戸幕府が設置した武芸の訓練機関である。諸役人、旗本・御家人、およびその子弟が対象で剣術をはじめ洋式調練、砲術などが教授された。

 幕末には外国船が相次いで来航し、諸外国の近代的な軍装に刺激を受けた幕府は幕政改革・軍政改革を行った。ペリーの第2次来航があった嘉永7年5月(1854年)に男谷信友の提案により阿部正弘が安政の改革の一環として現在の浜離宮の南側に大筒4挺程の操練場を作った。正式には安政3年(1856年)に講武場として築地に発足。まもなく築地は軍艦操練所となり、同年4月に軍備増強の一環として幕府が創設した講武所を改組。万延2年(1861年)

現日本大学法学部図書館のある水道橋内三崎町2丁目の地に講武所を建設し、

武芸の講習所とした。(慶応2年(1866年)に廃止。陸軍所に吸収されて砲術訓練所となる。)

 講武所は弓術・砲術・槍術・剣術・柔術部門に分かれ(後に弓術部門と柔術部門は廃止)、総裁2名、各部門に師範役が1名ずつ、そしてその下に教授方が置かれていた。総裁には跡部良弼(老中水野忠邦の実弟)と土岐頼旨、教授には「砲術」高島秋帆(高島流砲術の創始者。長崎に育ちオランダ人からオランダ語と洋式砲術を学び、高島流砲術を創始する)、下曽根信敦(幕命により高島秋帆より洋式砲術を学ぶ)。「剣術」男谷信友、榊原健吉(直心影流)、伊庭秀俊(心形刀流)、窪田清音(田宮流居合、山鹿流兵学)らが着いた。

 講武所で教授された流派には「安政三年三月廿二日講武所御創建に付教授方之命」によると「槍術」には宝蔵院流・鎌宝蔵院流・自得院流、「剣術」には直心影流・田宮流・一刀流忠也派・北辰一刀流・神道無念流・柳剛流「砲術」には

西洋流の記載がある。

 

 参考文献

  武道学研究「講武所の研究」

 

  榎本鐘司 渡部一郎 中林信二著