2023年 4月 幕末江戸三大道場を訪ねて 練兵館編

 

 幕末江戸三大道場跡地を訪ねてのレポートも3回目となる。

北辰一刀流「玄武館」、鏡新明智流「士学館」に続いて今回は神道無念流「練兵館」の跡地を訪ねてみたい。

 「神道無念流」は宝暦年間に福井兵右衛門嘉平によって創始された流派である。

福井兵右衛門嘉平は下野国都賀郡藤葉村(現栃木県下都賀郡壬生町)の出身で野中権内に「一円流」を学んだ後、廻国修行を行った。廻国修行の中、信州の戸隠山に参篭中、現れた老人から7日間にわたって剣法の妙を授かったと言われる。下山後、嘉平は伝授された妙要から立居合十二剣を編み出し、「神道無念流」を開いたと伝えられる。

 弘化期頃は主に関東・東海地方の浪人や農民などの村落部で広まり、藩士層にはあまり広まっていなかったが、嘉永期以降、中国地方、北陸地方を中心に全国の諸藩に広まり、幕末期には竹刀打込み剣術流派としては直心影流に次いで全国で二番目に広まっていたといわれる。

 「練兵館」は「神道無念流」第三代岡田吉利に学んだ斉藤弥九郎によって開かれた。文政9年に九段下俎橋付近(現在の東京都千代田区内)に設立され、後に

九段坂上(現在の靖国神社境内)に移転した。幕末期には、現在の靖国神社の敷地の南西部一帯に百畳敷の道場と三十畳敷の寄宿舎があったと伝えられている。

門下から維新の志士を多く輩出しており、長州藩の桂小五郎、高杉晋作が有名である。特に桂小五郎は長州から江戸に上って一年足らずで塾頭になっている。

 北辰一刀流の坂本竜馬も桂小五郎と同様に江戸に上った後、一年足らずで塾頭になったといことも言われている。レポート「桂小五郎が学んだ剣術」でも記したが両名とも江戸に上る前に坂本竜馬は「小栗流」、桂小五郎は「柳生新陰流」を長期間稽古しており、江戸に上った時には相応の実力を身に着けていたと考えるのが妥当であろう。

 今回訪ねた「練兵館」跡地は靖国神社の敷地内にあることもあり、北辰一刀流「玄武館」、鏡新明智流「士学館」の跡地と比較するとかなり多くの人に知られている場所であろう。私が訪ねた当日も何人かの人が跡地の説明看板の写真を撮影していた。

 

 参考文献

  靖国神社ホームページ

  日本武道全集 昭和41年 今村嘉雄ほか(編)